仕事を語る

Episode02

田子の浦の万葉歌碑

かつて田子の浦港を訪れたことがある人なら、この万葉歌碑を見たことがあるのではないでしょうか。地域の皆様に愛されてきたこの石碑を新たな交流拠点として開発された公園へ。この地域で生きる私たちにとって、感慨深い仕事のひとつでした。

田子の浦の万葉歌碑

[プロジェクト名]
平成23年度田子の浦港地域自主戦略交付金【港湾環境整備(緑地等)効果促進事業】富士緑地整備工事(石碑工)

奈良時代の歌人、山部赤人が詠んだ富士山を望む歌がある。「田子の浦ゆ うち出てみれば ま白にぞ 富士の高嶺に 雪は降りける」に代表される万葉の歌が刻まれた石碑が田子の浦港富士埠頭に建てられたのは昭和61年。この石碑を新たな交流拠点として開拓された「ふじのくに田子の浦みなと公園」へ。地域の名所としても知られる万葉歌碑を移設する工事が行われた。

このプロジェクトに携わった人たち

  • 非公開: 池田 敏昌(土木部)

Mission

巨大な万葉歌碑を安全に移設し、新たな景勝地の中に再現する。

8本の石柱からなる万葉歌碑は、富士市の観光振興を願って建てられた地域の財産。かつては田子の浦港と土肥港を結ぶフェリーも就航していました。石碑には富士市南松野産出の松野石が使われ、万葉仮名で刻字されています。
田子の浦港の港湾整備工事で発生した浚渫(しゅんせつ)土砂を利用して整備が進められた「ふじのくに田子の浦みなと公園」の象徴としてこの万葉歌碑を移設することが決定し、海と富士山を望む新たな景勝地が生まれることになりました。さらに求められていたのは、石碑の設置位置や並び方、角度に至るまで、移設場所で元の石碑と同じ状態を再現すること。地域の貴重な財産を大切に掘り起こして新たな景勝地へと安全に移設し、美しく再現すること。遠藤建設はこの工事を受注し、求められた課題に対し的確かつ安全な施工を行いました。

昭和61年に田子の浦港富士埠頭に建てられた万葉石碑。24年の歳月を経て新たな場所に移設されることになった。

ふじのくに田子の浦みなと公園へ移設された万集歌碑。8本の石柱の位置や角度までそのまま再現されました。

Process&Technology

長く重い石碑をバランスよく吊り上げ、損傷を与えず安全に運び出す。

移設先でまったく同じ状況を再現するために、石の位置や角度など、詳細にわたる測量が実施されました。掘り起こしや吊り下げも非常に慎重な作業です。運び出すのは一枚岩を切り出してつくられた松野石。傷かつかないようにワイヤーの廻りに毛布を巻いて行いますが、長く重い石碑はバランスをとるのが難しく、クレーンの操作にも緊張が走ります。石碑は重ね合わせることがないようにトラックに積まれ、ゆっくりと「ふじのくに田子の浦みなと公園」へと運ばれていきました。

いちばん大きな石碑は全長5.5メートル、重さ約10トン。ゆっくりと慎重に吊り上げられていきます。

移設が終わった後の富士埠頭。万葉歌碑はこの場所での役割を終えました。

準備された場所へ正確に配置し、万葉歌碑を再現していく。

石碑が運び込まれるみなと公園側でも、石碑再現のための丁寧な作業が行われました。測量によって割り出された位置を移設場所に正確に落とし込み、慎重に石碑を受け入れます。長く重い石碑は、トラックから降ろす作業も設置する作業も、すべてをゆっくりと慎重に行わなければなりません。ひとつひとつの石の位置関係を確認しながら正確に再現していきます。工事作業車には排気ガス対策車が使われるなど、環境面への配慮も行われた工事でした。平成24年3月には移設除幕式も行われ、地域の未来に残るプロジェクトに関われたことは私たちの誇りとなりました。

遠藤建設の旗が掲げられた現場事務所。2ヶ月間にわたって工事が行われました。

公園側で事前に進められてきた受け入れのための工事。再現するための位置情報もここに落とし込まれました。

慎重に行われたクレーンでの作業。クレーンにも排ガス対策車が導入されました。

新たな場所への設置工事。ひとつひとつの石碑を正確に再現していく作業が続きます。

石碑の足元。この場所に長く建ち続けることを願って打ち固めていきます。

無事に移設が完了。この石碑が未来に引き継がれていくことを想像すると感慨深いものがあります。